5000over
10000ゲッターすずみこ様へ進呈
思いもよらぬ出来事。
螺呪羅が朝早く使いをよこしたのだ。
早いといっても私はとっくに朝餉をすませていたが。
何だろう。
出かける支度をして螺呪羅の部屋に来いと、使いのものは言う。
螺呪羅の部屋に行ってみると、中に通された。
螺呪羅が着替えを終えようとしているところだった。
帯を締め、襟を正しながら、私を振り返る。
「来たか」
一瞬、まわりの景色が止まって見えた。
絵巻でも見るような、そんな光景。
すすきの模様を袖や足元にあしらった深い色の小袖を役者のように着こなした螺呪羅の姿は、思わず見とれてしまうほど洗練されていた。
自室からこちらへ向かう途中、出かける先について色々と考えた。
どこに行くのだろうか、と。
馬にでも乗るのならそれなりに支度をせねばならぬ。
また、私は勝手に私用だと思い込んだが、公用であれば鬼魔将の鎧で武装するのが"出かける支度"だ。
螺呪羅の装いを見て、ああ良かったと安心する。
私も同じような装いだったからだ。
もみじを散らした秋模様の小袖は私のいちばんのお気に入りだ。
髪は結わずに垂らしてきた。
どこか出かけられるのですか?
私の髪を梳かす鬼夜叉が、鏡の向こうから訊ねてきたのを思い出す。
うん、とだけ返すと、それ以上はきいてこなかった。
「行くぞ」
完全に支度を終えた螺呪羅が私にそう言う。
「どこへ…?」
部屋を出て長い回廊を歩きながら、螺呪羅に問う。
「そうだな…」
かたちのよい指で髪をかきあげながら一瞬立ち止まり、しばらく考えてから言葉を続けた。
「"本屋"にでも行くか」
がやがやと大勢の人が行き交う間を縫うように歩き、やがてたどり着いた"本屋"。
書物が山のようにおいてあった。
どれも色鮮やかな表紙で、私が普段読むような和本や巻き物といった体をなしたものは一つもない。
しかしその蔵書の数は煩悩京の書庫とはくらべものにならぬほど多い。
天井まである本棚の列を見上げるとめまいがしそうだ。
螺呪羅はその広い"本屋"を何の迷いもためらいもなく歩き進み、動いている階段をいくつか上がっていく。
五階ぐらいまで上がっただろうか。入ったところに比べると人の数も減り、閑静な雰囲気のところに出た。
そして立ち並ぶ本棚のあいだを歩き、目的らしき本棚へとたどり着く。
やはり色とりどりのきれいな表紙の本がずらりと並んでいる。
かなり大きな本だが、厚みはそれほどない。
そのうちの一冊を螺呪羅が手に取った。
中身もあざやかだった。
螺呪羅が開いている本を覗き込む。
桜の花や、寺か何かの建物やなんかがのっていた。
「これは"写真"というのだ」
「しゃしん…?」
「真実を写す、と書く。ありのままを写し取ることができる技術だ」
「ふぅん…」
螺呪羅は頁を何枚かめくる。
煩悩京にある建物に似たものもいくつかのっていた。
「…きれいだな」
思わずつぶやく。
四季折々の花と、その背景の建築物。
私たちがかつて住まっていたような姿で、まだこの国のどこかには残っているのだ。
数百年の時をへて、それはいっそう重みを増し、美しさをも重ねていく。
そして花はおなじように美しく咲いては散っていくことを繰り返しているのだ。
「これがあれば、花見に行かずとも花見ができる」
螺呪羅を見上げながら私がそう言うと、螺呪羅は、そうだな、と笑って答えた。
その本が置いてあった辺りの本を何冊かぱらぱらと見てみる。
どれもきれいな"写真"ばかりだ。
阿羅醐城に似た城、煩悩京の大路の長い白壁に似た壁、曲水が流れる庭、あちこち曲がる回廊。
意外にも見慣れたものが多かった。
そしてその本棚のとなり。
やはり大きくて、厚みのない本。
大きさは千差万別で、"写真"の本とはすこし様子が違う。
何だろう。
手にとって見てみる。
絵が描いてあった。
太い筆で無造作に塗ったような絵。
少し離して見てみると、それは何かの動物のようだった。
「螺呪羅、…」
となりで続きを読んでいた螺呪羅の袖を引く。
「なんだ」
本を置き、螺呪羅は私のほうへ向き直る。
「これは何の本だろう?」
「…"百万回生きたねこ"…」
螺呪羅が表紙に書いてある文字を読んだ。
「…これは猫なのか」
表紙にでかでかと描かれた、猫だか何だかよくわからない動物の絵を見て、私はつぶやいた。
たしかに目が三角に吊っていて、ヒゲがあって、耳が尖っている。
とても稚拙な絵なのだが、なぜかその猫の目だけがものいいたげだった。
螺呪羅が本を開く。
中も表紙と同じ描写の猫がでてくる。
そして文字が書いてあった。
"百万年も死なないねこがいました"
大きな文字で書かれた短い文と、見開きのもう半分には表紙と同じような猫の絵。
物語のようだ。
なぜかしら心をひかれる猫の表情。
まったく可愛げのないその猫は、その目で何かを訴えようとしているのだろうか。
文よりもその猫の絵から目が離せなかった。
気が付いたら、瞬きもせず猫に見入っていた。
螺呪羅を見上げると、猫に見入っている私をじっと見ていた。
ああ、そうか。
私が猫に見入っているから頁をめくらなかったのだ。
「すまぬ」
どんどんめくってくれ、という意味で一言詫びる。
だが螺呪羅は頁をめくらず、そのまま本を閉じた。
螺呪羅はあまり興味を抱かなかったらしい。
何となく文の続きが気になって、螺呪羅が裏返したりしている本を眺める。
猫のバサバサした毛並みに見入っていると、螺呪羅が本を持ったまま歩き出した。
店の者らしき人に代金を支払う。
本を袋にいれながら、店の女が螺呪羅に見とれていた。
螺呪羅は気にせず無表情を続ける。
できあがった紙の袋を受け取ると、そのまま"本屋"を出る。
螺呪羅は無言で、さきほどの包みを私に渡した。
私があまりに名残惜しく眺めていたから、買ってくれたのか。
「…ありがとう」
何だかとても嬉しくて、受け取った本を袋の上から撫でてしまう。
それを見て、螺呪羅はまた笑った。
外はまだ昼下がりだった。
また人込みを歩く。
はぐれないように螺呪羅の袖をつかみ、本をしっかりと胸に抱いて。
しばらく歩くと、大きな川に出た。
ここもやはり人が多い。
川辺の石畳になぜか等間隔に座っている二人組が何組も並んでいた。
河原に降り、川上に向かってまた歩く。
螺呪羅が、さっき買った飲み物を私に差し出した。
私が、喉が渇いたと言ったので、途中で買ってくれたのだ。
店の女人に"茶をくれ"と言って、"うーろん茶ならございますが"と差し出された茶だ。
どれぐらい歩いただろう。
いくつ橋をくぐったかわからなくなるころに、人がほとんどいなくなった。
川辺に置いてある床几らしきものを螺呪羅が指し、そこに並んで座る。
かなり歩いたので少し暑くなっていたが、そこは程よい木陰になっていて涼しかった。
螺呪羅から受け取った茶を飲む。
冷たくて心地よかった。
中に入った氷がザラザラと音をたてる。
「本を開けてみろ」
そう言いながら螺呪羅は私が持っていた茶を代わりに持った。
言われるままに紙袋を開ける。
うまく開けられなくてもたもたしていると、螺呪羅が焦れたように私の手から本を奪って手早く袋を開いた。
なんだ、螺呪羅も読みたかったのか。
さきほどの猫が袋から出てきた。
しまもようの大きな猫。
「"百万回生きたねこ"…」
標題を反芻してみる。
本を膝の上に開き、読んでみた。
百万回生きたねこは、百万人の人の飼われ、可愛がられ、ねこが死んだとき、百万人の人が泣いた。
ねこは一度も泣かなかった。
ある時ねこは誰のねこでもない、野良ねこに生まれた。
そして一匹の白いねこに出会う。
立派な野良ねこになったねこに、まったく関心を示さない白いねこ。
ねこは自ら白いねこのそばにいるようになる。
そしていつか子どもが生まる。
ねこは、その白いねこと年寄りになるまで寄り添っている。
ある日、白いねこが死んでしまった。
ねこは泣いた。
百万回泣いて、とうとうねこも死んでしまう。
だがねこは二度と生きかえることがなかった。
読み終わって、しばらく無言のまま二人で過ごす。
螺呪羅も読んでいた。私の右肩の後ろから。
なぜねこは何度も生きたのか。
ねこの九十九万九千九百九十九回の生では、決して自分から何かを求めはしなかった。
飼うのも可愛がるのも悲しむのもすべて他者で、どれもねこは望んでいない。
そして死ぬことなど平気だった。
最後の百万回目の生だけ、ねこは自らの意志で生きた。
白いねこに寄り添い、ずっと一緒に生きていきたいと願った。
白いねこが死んだら、ねこは今まで自分が死んだときに誰かが泣いたのと同じだけ泣き、そして死んでいった。
百万回も生きてやっと出会えた白いねこを愛するために、九十九万九千九百九十九回という気の遠くなるような数の生があったのだ。
最後の生で、ねこは自分よりも大事なものを見つた。
だからもう生きなくてもいい。
「人間は…」
ふと螺呪羅が言葉をもらす。
「人間は皆この猫のようなものなのだろうな…」
そういいながら、私がさっき口をつけた細い筒("すとろー"と言うらしい、と後で知った)に口をつけた。
筒の中を茶が上がっていくのが見えた。
「…ああ…」
螺呪羅が茶を飲み下す小さな音をききながら、私は肯いた。
「少し、歩くか」
螺呪羅がひとりごとのようにつぶやいた。
螺呪羅がさきに歩き出す。
本を抱え、後を追う。
肩で波打った螺呪羅の銀色の髪に木漏れ日が落ちて光る。
螺呪羅から二、三歩遅れて歩きながら、その不思議な色合いを眺めた。
やわらかな陽の光のなかに、ときおり舞い落ちる木の葉。
そのうちの一枚が、螺呪羅の髪に落ちた。
銀髪の波に半分うもれた小さな紅い葉。
螺呪羅にそっと追いつき、銀色の髪に手を伸ばした。
もみじの葉を拾い上げると、螺呪羅がそれに気付いて振り返る。
螺呪羅の目の前に、ほかのよりもひときわ紅いもみじの葉をかざして見せた。
「きれいだな…」
茎の部分を指でよると、葉の部分がひらひらと回る。
それを見て、螺呪羅はしずかに笑った。
そして私の手をとり、また歩き出した。
何だか不思議な気がする。
朝からずっとそうだった。
二人で同じ本を読み、同じ茶を飲み、こうやって手をつないで歩く。
そんな何でもないことに、私は朝からずっとどきどきしているのだ。
まるで年頃の男と女のようだ。
螺呪羅の衣からただよう良い匂いや、端正な横顔や、きらきら光る銀色の髪。
それらが全部やわらかな光となって、私をどきどきさせる。
私の視線に気づいたのか、螺呪羅は私を見下ろした。
「どうした」
「…ううん、何でもない」
「茶か」
そう言いながら螺呪羅が茶を私に差し出した。
私がそれを受け取ると、螺呪羅はかわりに本を持ってくれた。
手をつないだまま、螺呪羅がさっき口をつけたものに唇をつけ、ずずず、と茶を吸い上げる。
頬が少し熱い。
髪がちょうど頬を隠してくれる。髪をおろしてきて良かった。
うつむいたまま螺呪羅の手をにぎり、茶を飲みながら細い筒を噛む。
どうしてこんな些細なことで私はこんなにも動揺しているのだろう。
私を呼ぶ螺呪羅の声にも気づかないぐらいに。
つないだ手を強く引き寄せられても私はうつむいたまま茶をすすり続けている。
螺呪羅の手が私の頬に触れたとき、やっと私は茶を離して螺呪羅を見上げた。
「…あ…」
螺呪羅の唇が私の唇に触れた。
手をつないだまま、私と螺呪羅の唇はしばらく触れ合った。
ほんの一瞬なのか永遠なのか。
やわらかで温かで、めまいがするほど甘い口づけ。
唇が離れた。
つないだままの手で、螺呪羅は私の頬にまた触れた。
そして螺呪羅はまた何事もなかったように歩き出した。
私はまた茶を飲み始める。
この茶がなくならなければいいのに。
ふとそんなことを思った。
もう氷もとけてぬるくなった茶を、名残惜しげに飲みながら。
この道も、ずっと続いていればいいのに。
そうしたら、私と螺呪羅はずっと手をつないで歩き続け、また猫の本を読み、代わる代わる茶を飲んで、螺呪羅の髪に落ちてきたもみじを拾い集めるのに。
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